恩人との別れ

今日は、私の人生の岐路に大きく関わった方にお別れをしてきました。

故人は、私が群馬に越してきた数日後に「俺の顔を立ててこの学校で働いてくれないか?」と私を「学校」という現場に引っ張った人。

私は大学を卒業すると同時に、群馬に嫁いだのですが、その嫁いですぐの3月末、我が家の近くの学校で、突然、音楽の先生の欠員が出たのです。新年度が始まるのに代わりの人が見つからなくて、もう新学期に間に合わない!…という時に、故人は「そうだ、最近あの家に来た嫁は音大を卒業したばかり、これはなんとかなるかも!」と私に連絡をくださり、私の初任校とのご縁をつないでくださいました。

私が、九州の片田舎から東京の音大を志したのは、音楽で食べて行きたかったから。でも、親の手前「音楽で食えなかったら就職する」と宣言。心の中では音楽のプロを志しつつ、表向きは教員志望。ブライダルやレストラン等でピアノを弾く仕事や近所の子供達にピアノ教える仕事の傍ら、4年間、大学で音楽を学びました。

ピアノを弾く仕事が順調だったので、卒業後もこのままこれを仕事にしていこうと考えていましたが、学校での仕事を紹介され「とりあえず、明夫さん(故人)の顔を立てて学校に行ってみよう!」と、3月28日か29日だったと思いますが、学校へ行きました。学校を見学し、教頭先生とお話をする中で、学校の仕事にやりがいを感じ、学校で働くことを決心。そうして、28年前、私は、ピアノを弾く仕事を整理して、4月1日から「音楽の先生」として、新しい人生をスタートさせました。

結局、これがきっかけで、私はさまざま人と触れ合える、生身の人間と対峙できる学校の仕事が好きになり、24年教壇に立ち続けました。このご縁があって学校に勤めたからこそ、今の私があるし、この仕事をしなければ出会えなかった出会いがたくさんありました。故人は、ある意味私の人生の選択肢に大きく関わった大恩人です。

明夫さん、82年間お疲れ様でした。すばらしいきっかけをありがとうございました。どうぞ、安らかにお眠りください。

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